動物とホメオパシー その2

 

 

おとーとてんまるの昼寝。

20210516おとーとてんまる

 

 

 

 

 

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“動物好き”なレメディで真っ先に頭に浮かぶのは私はCarc.(カシノシン)で、
おとーは「俺はAmbr.(アンブラグリシア)!」って言ってるんだけど、
Ambr.ってホメオパシーを学ぶ者なら初めの段階で学ぶポリクレストの割には全然活用する機会がなくって、
うちに来る前にこのレメディを他のホメオパスから2年間摂り続けさせられた、なんてクライアントさんもいらっしゃったりして、
そんなこんなでどうしてそんなにホメオパシー界で重要視されているレメディなのかサッパリなんですが、
どなたか理由を教えてくれないかしら?

 

 

 

 

あ、(いつものように)話が逸れちゃいましたが、
それでね、改めてマックレパートリーで動物大好きレメディを検索しようとしたら
お馴染みの「Mind - ANIMALS - love」が ない んですよ。

 

・・・・・・( ̄◇ ̄;)エッ?

 

 

 

本(SYNTHESIS=レパートリー辞書)の方にはあるのに、
ネットで最新版を更新し続けているマックレパートリーにはあがってこない。
っつーことはもはやこの「あにまるLOVE(。・ω・。)ノ♡」ってレメディ選択において重要視されるものではないっちゅうことですか?
(確かにあらゆるレメディに動物大好きって人は居そうな感じではある)

 

 

 

 

せっかく持論を展開しようとしたら、
出鼻をくじかれちゃって、さてどうしよう、とちょぴっと困りましたが、
話を(又)変えることにします。いずれこの話題に戻るつもりではいます。

 

 

 

 

 

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前回の続き。

 

 

動物は機械である。

 

と言ったのはフランスの哲学者のデカルト(1596〜1650)。

 

 

 

理性の不在思考の不在、そして不死の精神の不在、これがデカルトの動物機械論です。

 

 

 

デカルトは「人間は機械としての身体に精神が結合した存在であり、動物は人間とは異なり精神をもたないがゆえに純粋な機械と見なされる」と考え、「人間と動物を区別するのは言語能力の有無である」と主張している。

 

デカルトが現在に生きていたら絶対動物愛護団体から糾弾されているでしょう。
(グリーンピースは「くじらが可哀そう」って日本を叩く前にデカルトにクレーム入れた方がいいと思いますよ……←どうやって?(笑))

 

でもデカルトはその後しばらくたって「牡蛎や海綿動物みたいなものは不死の精神を持つという理由が見当たらないよね〜(牡蛎や海綿動物以外だったら見当たるかもね〜)」や「動物に思考はないが感覚はあるかもね〜」ってな感じで限定的に多少主張が柔らかくなったかな?って気配も漂わせたりもしています。

 

 

 

 

 

デカルトっつったら近代哲学の偉大なる父と呼ばれているだけではなく、
実は数学者としても凄い人で、例えば「x軸、y軸の二次元の座標系」は実はデカルト座標といってデカルトが考え出したものなんですよ。

 

 

 

でもなんてったって有名なのは「我思う、ゆえに我あり」(cogito, ergo sum)というフレーズ。
もちろんその「我思う、ゆえに我あり」だけ言ったのではなくって(当たり前ですが)、
彼は「疑う私が存在すること」を絶対的真理として、それを哲学の第一原理に据えました。
その結果、こんな結論を導き出したのです。


「私の存在は確実なのだから、私が明晰に理解したり認識するものも確実に存在する」

 

 

 

続けて「私」の認識が正しいことの根拠についてこうも述べました。


「なぜ、私の認識が正しいか。それは神様が私を作ったからだ。だから私の認識はきちんとできているに違いない」

 

 

 

(・・・あーあ、神様出してきちゃったよ・・・)

 

 

 

 

いつの時代も困ると神様に頼るのは人間の性だよね、と同情しつつも、
そんなこんなで彼の哲学には多くの批判が集まったらしい。最初の一歩「我思う、ゆえに我あり」は素晴らしかったんだけどね。

 

 

 

 

兎にも角にもデカルト主義が当時大きな流行を生んだのは確かで、
特にこの動物機械論は精神の不死性を理屈づけ、動物を食用とすることは罪になるのではないかという思いをやわらげ、解剖などの科学実験を可能するという点で、神学と実生活、および当時の科学主義的傾向からの要請をうまく満たす理論として世間に受け入れられていったのです。

 

 

 

 

 

今日はここまで。続く。

 

 

 

 

 


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