大正天皇

 

 

 

今日も鍋。豚団子鍋です。

20180201豚団子鍋

 

豚団子にはこれを混ぜてみた。

20180201畑のお肉

 

水で戻さずにおろし金ですって混ぜた。独特の風味で美味しかったよ。

20180201畑のお肉成分

 

 

 

 

ななこのダンス。

20180201ななこのダンス1

 

こんなことも。

20180201ななこのダンス2

 

なでなで。喜んでグルグル言ってる。

20180201なでなで

 

 

 

 

 

 

 

 

3日前のニュース。

 

大正天皇直筆画か、侍従武官の子孫宅で発見
四竈家の資料箱から整理の過程で見つかる

 

20180201大正天皇の絵

 

大正天皇(1879〜1926年)が描いたとみられる絵が、侍従武官として大正天皇に仕えた四竈(しかま)孝輔(1876〜1937年)の東京都内の子孫宅から見つかった。

 

大正天皇と四竈は深い信頼関係にあったと考えられ、絵にあった大正天皇の名前「嘉仁(よしひと)」の署名がその特徴を備えていることから、識者は「直筆とみて間違いない」と話す。大正天皇の書は知られるが、絵が見つかるのは極めて珍しい。

 

 

絵は四竈家の資料箱に保管されており、整理の過程で見つかった。縦27.5センチ、横39.5センチの半紙に、墨の濃淡を使って花や葉が描かれていた。日付はないが、大正天皇に詳しい古川隆久・日大教授は「他の筆跡と比較しても、署名は大正天皇の直筆とみて間違いない」と話す。

 

大正天皇に関する著書がある原武史・放送大教授も、「四竈は大正天皇の体調が悪化しても尊敬の念は変わらず、忠実な臣下を任じていた。天皇にとっても四竈は信頼できる特別な存在だったろう。署名の字体に大正天皇の特徴が表れていることもあり、本人が描いたと考えられる」とする。その上で「大正天皇は漢詩を数多く残すなど文化人としての才能があり、絵を描く素養があったとしても不思議ではない」と話す。

 

四竈孝輔の孫にあたる四竈博信さん(64)は「(孝輔の妻である)祖母からは大正天皇は立派な方だったと聞いていた。教養を感じる絵や、力強い署名の字からそのことがしのばれる」と感慨深げに話す。

 

古川教授は「絵に印がないことから、大正天皇は下賜するつもりはなく、自分用に手元に置いていたが、死後、形見分けの形で四竈に渡った可能性がある」と話している。

 

 

 

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『遠眼鏡事件』で知られるように、大正天皇は暗愚であった・・・という評価が一時まかり通っていた(昨今は大分評価が変わってきたようだ)。

 

私が高校の頃(昭和の最後の頃)、高校の担任が「大正天皇は議会でこうやったんだよ」と紙をクルクル巻いてそれを「遠眼鏡」として(望遠鏡のように)あちこちをのぞく仕草をしたことがあった。詳細は一切語らなかったけれど、「あれっ?大正天皇って・・・」となんだかヤバい感じがしたのを覚えている。

 

 

 

 

 

『花火屋の大将』という丸谷才一の本に、この大正天皇についての文章がある。
「大正天皇が今すごい人気。」と冒頭にあり、
これが「オール讀物」に掲載されていたのは2001年だから、
そのあたりから評価が変わってきたんじゃないだろうか。

 

 

 

大正天皇は、和歌も漢詩も素晴らしく、そのうえ “書” は「帝王の書というのはこういうもの」ばりの腕前であった・・・というようなことが書かれている。
“書” がそんなに凄いのなら、これくらいの絵(画)なんてさささーっと描けちゃうに違いない。

 

 

 

 

 

 

本の中で紹介している丸谷氏が絶賛の大正天皇の和歌。()内は丸谷氏の評。

 

三月八日庭にて鶯の鳴きけるにこもりゐたる万里小路幸子がまゐりければ
鶯やそそのかしけむ春寒みこもりしひとのけさはきにけり

 

(王朝和歌の骨法をしっかりと身につけて、しかも新風をもたらしている。その清新な趣がごく自然に伝統を受け継いでゐる。こういうおっとりとした、そのくせ現代的な詠み口の歌人は近代日本のほかに誰がいるだらうか。)

 

 

 

 

戦中新年
軍人(いくさびと)くにのためにとうつ銃の煙のうちに年たちにけり

 

(優雅で強くて、じつにいい。柄が大きくて、しかも粋である。第一次世界大戦ですが、こんな歌は臣下には詠めない。そして天皇なら詠めるというものでもない。おそらく大正天皇は後水尾天皇以来最高の、いや、ひょっとするとあの江戸初期の帝にまさるかもしれない帝王歌人であった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

勿論、丸谷氏は漢詩もべた褒めしていました。
大正天皇は才能あふれる方だったようです。

 

遠眼鏡事件については、当時の女官、椿の局の証言(1975年に語ったものでテープに録音)によると、上下を確かめるため中を調べたのが誤解されたのだそうである。と書かれている。丸谷氏は「そうかもしれない。大いにあり得ることだ」と書いている。
「しかしわたしとしては、普通の君主ならばともかく、大正天皇のような偉大な帝王詩人が詔勅を遠眼鏡のように扱ったって一向にかまわないと思うのですね。彼にならその資格があった。
詩は日常の言語である散文と次元を異にする、破格な言語の使用である。そのせいかどうか、詩人は生活においてしばしば奇行を演ずる。それは遊び心のあらわれであり軽やかな祝祭である。とすれば、詩人天皇が手製の望遠鏡を即興的に作り、下界の眺めを望み見たとてあやしむことなまったくない。あなたは知らないか。李白が水面の月をとらえようとして溺れたことを。ネルヴァルが紐にゆわえたザリガニを引いてパリの目抜き通りを散歩したことを。」

 

 

 

・・・と、丸谷氏はうまくまとめている。

そうね、日々の鬱屈をお茶目に表現してみました♪!って考えた方が楽しいかもね(笑)

 

 

 

ということで。

 

 

 

 

 

 

 


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