心配をかけよう



【ブラッシングノックアウト】
強健種。夏の暑い陽射しもへっちゃら。

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【ニュードーン】
こちらも強健種。日陰気味のとこに置いている。ニョキニョキ育っていてヤバイ感(だって鉢植えだし・・・)。
クリアーピンクの花弁に艶やかな濃い照葉で綺麗なのだが、イマイチ写真写りが悪い。

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手前のピンクが【チュチュオプティマ】。その向こうの白八重が【グリーンアイス】。そのまた向こうの白八重が【プチシャワー】

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【グリーンアイス】
日陰気味のせいか、この季節にしては意外に元気。

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Amazonより届いた。
なんだなんだ、と群がる猫たち。

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邪魔な “てんまる”。

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箱の中身。

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買ったのはカレーツリー エビカレー ミックススパイス 100g×6個

エビカレー.jpg




このエビカレーにはココナッツミルクが必要ということで。
オーガニックココナッツミルク400ml×12缶セット 有機JAS認定食品・BPA(内分泌攪乱化学物質としての懸念)が溶け出すリスクを避けるために缶内側にBPAの使用をしておりません・砂糖無添加・無精製・無漂白・無保存剤・certified organic coconut milkも購入。

ココナッツミルク.jpg





おとーのお父さん(喜一郎パパさん)が来たら、しこたまカレーを食べさせようと思ってる。







おとーはなかなかおとーのお父さんに病院から電話をかけたがらない。

一昨日も「腎臓に腫瘍?悪性?」と慌てたのだが、勿論そういう話もしたがらない。
「心配をかけたくない」という、親に対する世間一般の子どもの発想だよねー。
「いらんこと言われるのめんどーだしなー」って思いもあるのかもしれない(苦笑)


あっ、私から喜一郎パパさんには連絡しちゃいましたが。




私は

心配させるのも孝行のうち。

と思ってるので。




勿論、余程の心配事は避けた方が良いんだろうけれど。







むかーし、これを読んだことがあった。
こころの処方箋」新潮文庫 河合 隼雄




河合隼雄氏
日本のユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。




本文より抜粋
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ある家庭の一年浪人の受験生が、いったいどこを受験するかで迷いはじめた。
できる限りよい大学に行きたいが二浪は少し辛い。と言って前年の失敗のことなど考えると、再度挑戦という気持ちも湧いてくる。
それだけではない。
親類にも受験生が居るので、それとのバランスまで考えねばならない。
両親と子どもとで大いに頭を悩ませるが、同居している祖母には、「心配をかけない」ように、ともかく「次は大丈夫だから」と言うことにして、こまごましたことは言わないことにした。

何しろ、前年の失敗のときに祖母があまりにも気落ちしてしまったことを考えると、これ以上心配はかけたくない、という気持ちが先行してしまうのである。
ところが、その頃から祖母が少しボケはじめたようなのである。
自分はいじわるをされて、あまり十分に食べさせて貰ってないとか、自分を一人にして放っておいて、家族一同でレストランに御馳走を食べに行ったとか、親類のものに言うようになった。
もちろん、そんなことは事実ではないのだが、父親の姉妹などが心配してやってきたりして、事情がわかってきたのである。

皆でいろいろ考えてひとつ考えついたことは、祖母から孫の受験に関する「心配」を取りあげてしまったので、急に疎外感を感じたのではないかということであった。
そこで、試しに、思い切って孫の受験のことについていろいろと話をしてみた。
すると、ボケているはずの祖母が何やかやと意見を言い、それはそれでやっぱりうるさい点もあったし、祖母なりに心配をするので、それに対応してゆかねばならぬということは生じたものの、祖母の「ボケ」は収まってしまったのである。


苦しみや心配は少ない方がいいとは言うものの、心配すべきときにその心配を取りあげられては、生きる楽しみがなくなるのである。
・・・・・・・・・・・
老人に心配をかけることは、もちろん、その後で老人がする心配を共にわけ合うことを前提としている。
できる限り、共に苦しんだり、共に心配したりすることこそが、人生の楽しみにつながってくると思われる。
このようなことを抜きにして、単に苦しみや心配を与えることが楽しみになるなどとは、誰も考えないであろう。
それはただ重荷を与えるだけのことである。
重荷を支えることに共に参加しているという感じが必要なのである。


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へぇ〜と思った。




ちょうど、私の母親が何回目かの危篤を乗り越えた頃だった。
ある日、唐突に電話での母親の話し方がおかしくなった。
まだ60代なのに100歳のおばあちゃんみたいにろれつが回らず、なんだかぐずぐず泣き言を言っていた。

抗がん剤の副作用か、病のストレスのせいかわからなかったが、「ボケたか?」と不安になった。



この河合氏の本を読んだばかりだったので、試しに母親に私の勤め先の上司の愚痴をこぼしてみた。
「こんな変な人がいてねー、会社辞めようかな・・・。」話半分は本当だった。
母はしばらく黙ってひととおり聞いた後、
「何も心配することはないよ。私がついているんだから。」
とシャキッと答えたので、私は驚いた。


さっきまでのボケ老人みたいな喋りはどこ行ったんだー?





河合氏のいってることは本当だった(驚)





私はそれまで仕事の愚痴なんて話したことはなかったので
(というか、母とはうまくいってなかったので、あんまりお喋りをしたことがなかった)
そんな私がそんなことを言い出したので、母親は驚いたのもあるのだろう。



だから、その後は敢えて心配をかけさせるような発言を時々することにした。
相談したところで解決するような問題でもなかったし、
あれこれと意見を述べる母親の相手をするのはめんどくさかったが、
あんな年寄くさい話し方をされるよりよっぽどマシだった。






だからね、
喜一郎パパさんもそろそろよいお歳なんだし、
親子の関わり合い方にひと工夫が必要になってきた頃じゃない?





こういうときって、
実の親子よりウソの親子(舅姑と嫁)の方が楽な気分で関わり合えるからいいのかもしれない。




では。







 

コメント
毎度❗️おとーです。
スマホで書いているので誤字脱字はご勘弁願います。
今回のブログは新しい視点だなあと読みながら思いました。
年寄りにはきょういくときょうようが必要だと道場さんが言っていたことと通じるものがあるよね。
結婚してから今迄疎遠だった父親とこんなに連絡を取っているんだから随分と父親の刺激にはなっていることと思います。それにきっと自分には見せないような一面も見られるのは奥様だからでしょう。
アドバイスを参考にいろいろ試行錯誤してみますか。
  • おとー
  • 2015/07/13 5:40 PM
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