厄病神

 

 

雨上がりのディスタントドラムス。今日はとても色が良くのっている。

20181104ディスタントドラムス

 

白のポリアンサローズ

20181104ポリアンサローズ

 

マチルダ。10年以上経った大株。

20181104マチルダ

 

スキャボロフェアー。「夜露に濡れた方が花の色が良くなる」って小豆島に住んでいた時の斜め向かいのおばあちゃんが教えてくれたっけ。

20181104スキャボロフェアー

 

 

 

 

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今月のナショジオ。表紙タイトルの話はネットで知っていたので、ここでは書きません。

20181104ナショジオ

 

 

私が一番興味を持ったのは、たった1頁のみの記事。

20181104北斎の絵の話

 

北斎の晩年最大級の傑作といわれている肉筆画、『須佐之男命厄神退治之図』(関東大震災で焼失)を明治の白黒写真から推定復元したという話。

20181104北斎の絵

 

 

 

ネットで検索してみた。

凸版印刷、北斎幻の大絵馬を推定復元2016/11/17

白黒
20181104須佐之男命厄神退治之図1

 

カラー

20181104須佐之男命厄神退治之図2

 

完成までに2年を費やしたそうだ。

 

 

 

スゴイです。凸版印刷さん。^(ノ゚ー゚)ノ☆パチパチ☆ヾ(゚ー゚ヾ)^

 

 

 

 

 

 

北斎らしい奇抜な描き方。
(グロテスクさ、だったら私の好みは曾我蕭白だけど、北斎もなかなかイケてると思う)

 

 

ネットの記事では
「須佐之男命と、その従者の前に15体の様々な厄神がひざまずき、今後悪さをしないように証文を取られているところが描かれています。」
とあって、
確かに左端の厄神が手判している様子がわかる。

 

 

 

 

(そういえばダイナミススクールでジェレミーがボードに三角形を書いて、
そのてっぺんに『神』と書いて哲学を論じていたけれど、絶対的な神の概念って、
それは一神教の信仰を持つ人々のものであって、
厄病神にまで『神』という名称を与え多くの神々と共存している日本人には
ジェレミーの思いは明確に伝わらないだろうなぁ・・・と思いながら受講していた。。。)

 

 

 

 

 

 

 

厄病神といえば、最近面白いまんが日本昔話をYouTubeで観た。
検索しようとしたら出てこなくて、Dailymotionならあったのでこちらをどうぞ。

『はだか武兵』


20181104はだか武兵

 

あらすじ

 

昔、中山道沿いの鵜沼宿というところに武兵という男がおった。武兵は子供のころから乱暴者で、今は茶屋坂の小屋で一人で暮らし、雲助(人足)をしておった。武兵は体も大きくて力も強く、そしていつもふんどしをつけているだけの裸であった。そこでみんなは武兵のことを「はだか武兵」と呼ぶようになった。

 

ある日、仕事の帰りに武兵は茶屋坂の小屋まで帰らずに、木曽の須原宿で夜を過ごすことになった。神社の床下で寝ていると、武兵を揺り起こすものがおる。それは厄病神であった。厄病神は自分と手を組まないかと武兵に言った。厄病神がいるところに武兵が行く。それを見計らって厄病神がその場を去る。するとたちまち、その場所にいいことが起こる、というものである。

 

半信半疑の武兵であったが、中津川まで帰ってくると雲助仲間が高い熱を出してうなされておった。見ると厄病神が雲助の部屋のたんすの上におる。武兵が部屋の中に入ると、厄病神は出ていき雲助は元気になった。それからというもの、熱を出すものがおると、武兵が来ればたちまちよくなるといううわさが中津川の宿場町全体に広がった。

 

ある日、大湫(おおくて)宿に長州のお姫様の一行が通りかかった時に、お姫様が急に高い熱を出して寝込んでしまった。宿場町沿いの医者が集められたが、どの医者もお姫様を治すことができなかった。

 

そこで武兵が呼ばれていった。周りの者はお姫様の元に行かせる武兵に着物を着せるのであったが、武兵は着物を破いてしまうので、しかたなくはだかのままお姫様の元へ通すことになった。武兵はそのまま一晩中、お姫様の元にいた。やがて夜が明けるころ、厄病神はお姫様の元を去って行った。するとお姫様はたちまち元気になった。家老は武兵に大変感謝し、何か褒美を取らすと言ったが、武兵は何もいらないと言って去って行った。

 

こうして武兵のことは、中山道沿いで大変有名になった。今でも中津川市の旭ヶ丘公園には武兵の墓と伝わる石碑が残っている。この石碑をたたくとよい音がして、病気になることはないと伝えられている。

 

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=216より)

 

 

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冒頭の語りの「武兵は雲助(くもすけ)をしていて・・・」とのくだりでドキッとした。
今では侮蔑用語として公共電波にのることはない言葉のひとつだったと思う。
まんが日本昔話って日本人の現代の道徳教育に必要なんじゃないか?ってほどにイイ話が多いんだけど、
こういうのが結構あるので人権団体のうるさい今では再放映されることはないだろうねぇ。

 

 

 

 

昔、横山やすしが酔っ払ってだかなんだか知らないけれど、
タクシーの運転手に向かって
「お前らなー、昔で言えば駕籠かき雲助やないか。」
って言って、それで侮辱罪で10万払わされたって事件があって(それも高裁)、
その話が結構有名。

 

 

 

 

と、雲助云々は置いといて、
このはだか武兵というのはほぼ実在の人とみてよくて、
多くの疫病の人々を救ったという、江戸時代後期の中山道の駕籠かき。

 

この武兵って人は多分、よっぽど『気』の強い人だったんだろうなぁ、と推測。
暑がりだしね。熱気が凄かったんだろうなぁ。
言うなれば、着ける人を選ばない最強のパワーストーンみたいな人で、
そばにいるだけで邪気退散って感じだったんだろう。

 

彼は高邁な精神だのというスピリチュアル性だの、そういった人間性を完全無視したセラピスト
といえるかも(そもそも武兵は酒飲みの暴れん坊で家を追い出されて籠かきになったんだそうだ)。
多分、私利私欲まみれの人でなかったからその力を発揮し続けられたんだとは思うが。

 

 

 

こういうのっていいなぁ((笑´∀`))
うらやましい〜(?)

 

 

ということで。

 

 

 

 

 


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